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長いよ

前回ちらっと触れた赤穂浪士

この日本人の美徳、忠義の代名詞と言われる仇討ち話し

実は真逆で日本人にとって異例中の異例、極めて稀なレアケースだったと言う説も!

260年の江戸時代で、お取り潰しにあった大名家は200家にも達したそうですが、幕府に楯突いたのは、この赤穂藩のただ1件のみ

割合にしてたった0.5%!

加えて、当時赤穂藩には300余名の士分(侍身分)がいましたが、討ち入り参加者は47名

この47名中、1人が足軽(侍ではない)11人が部屋住みだったそうです

部屋住みとは家臣の家族で、直々の家来ではありません

つまり300余名の侍身分の家来のうち、討ち入り参加者は35名となります

たった1割強です

とりわけ家老等、上級職にあった13名の中での参加者は大石内蔵助のみと言う有り様

9割近くの大多数の家来達は、主君の仇討ちではなく別の道を選んでいたわけです

ちょっと脇道にそれて…

子供の頃、12月には必ずテレビで「忠臣蔵」をやっていた記憶があります

同じように8月には必ず「四谷怪談」が放送されてたイメージがあります

この両者、実は密接な繋がりのある話しと知ってましたか?

僕は最近まで知りませんでした(笑)

江戸時代の狂言作家鶴屋南北が、裏切り者の旦那、伊右衛門を途中で逃げ出した赤穂浪士崩れと設定して書いたのが「東海道四谷怪談」

言うなれば、忠臣蔵のスピンオフ的な話しですね


赤穂浪士達の最後が全員切腹との悲劇性も相いまって、当時世間で熱狂的に支持された47士でしたが、参加しなかった藩士への誹謗中傷、パッシングの嵐は凄まじかったみたいですね

藩士であったのを隠す者、改名する者、転居する者、決まってた婚礼や再就職が破談になる者、父親が恥と腹を切る者等々…

それはそれは生き辛い世の中だったようです

その世間のダークなイメージ、雰囲気の行き着いた所が東海道四谷怪談の伊右衛門だったのでしょうか?

現代でもしばしば、いき過ぎたパッシング現象に遭遇するけど、現代社会特有のものではなく、江戸時代からあったのですね…

追伸

赤穂浪士を描いた深作欣二監督の「赤穂城断絶」傑作です

大好きな映画です

深作監督は後年、「忠臣蔵外伝四谷怪談」という映画も撮ってます

う~ん…

怖いのはちょっとね…

どなたか是非ご覧になって感想をお知らせ下さい(笑)

普通のホラーにあらず、当時日本アカデミー賞を総なめにした映画ですよ!

どうぞよろしく~



江戸信吾

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